先生のおはなし

ひとりごと「聞いてほしいなあ」

02. 夏過ぎて肩もこりなむ


 麗らかな初夏のある日、隣から女房が子どもを叱る声が聞こえてくる。何処の親と同じで勉強を急かす言葉の手裏剣だ。長女、次女、長男は揃いも揃って、尻に火がつくまで重い腰を上げない。これは父親譲りである。

 三人には、好きな道を探せと常日頃から伝えてある。にも関わらず、長女などは「それが出来たら苦労せーへん」と開き直り、CDラジカセに聞き入っている。態度が横柄なのは母親譲りなだけに、当然私には手に負えない。

 まあそれでもコンビニエンスストアの前で夜間たむろしたり、金属バットやサバイバルナイフを振り回していないだけ親の躾が良かったのだと思い直したりしていた、そんな七月のある日、考えを新たにさせる様な事件が起きた。

 それは一本の電話が医院に掛かってきた事から始まった。M医科大学五年生の男子学生が、私の医院でクリニック実習をしたいとの内容であった。一も二もなく快諾した。しかしそうなると準備が大変である。院長室の掃除から始まり、ついつい怠けがちであった診察前のスタッフ間のモーニングカンファレンス、診察態度、身だしなみなど常日頃お座なりにしていた全てを総点検する事と相成った。

 実習は月、火の二日間とし、診察だけでなく、乳児健診や予防接種も見せる事にした。

 当日彼は午前8時にマイカーに乗り登場。親に不愉快な思いをさせない学生でありさえすればと考えていたが、いい方に期待はずれ。私なんぞより立派な医師の風貌である。実習計画の説明とスタッフへの紹介の後、診察が始まった。真横に座り、私に付きっきりで診察を眺めている。少々診察が忙しく、彼には病気について説明をする暇もなかったが、母親への説明にいちいち肯いている。どの程度理解したのか気になったので簡単な質問をしてみると、この学生がただ者でないことが判明した。すでに小児科学の講義を修めているだけでなく、国家試験レベルの問題も軽く解いてしまう実力の持ち主であった。我が学生時代を振り返りしばし反省。

 その夜、実習第2部を近くの寿司屋で行ったのであるが、ますます驚いた。医学部を選んだ理由を尋ねたらこんな返事が返ってきた。彼は本来、高等専門学校に入学し5年間の勉強後、しかるべく社会にでる予定であった。2年生の冬、阪神淡路大震災に遭遇し大切な親友を亡くした。命の大切さを知った彼は医師への進路変更を行ったのである。猛勉強したのは想像に難くない。またこの8月からはNGOの仕事でカトマンズまで約1ヶ月間出かける予定とのこと。いるのである、こんなご時世にも自分を見失わずにいる若者が。

 私の医院での実習がかえって彼の意欲に水を差す事にならないかという一抹の不安と肩の凝りを残し、無事二日間の実習を終えた。

本当に自分がやりたい事を見つけた時、人は大きく変わり得るパワーを持っているし、今の若者だって決して見捨てた物じゃない。目標を見つける目を養わせるのが大人の勤めなんだと思えてきた。夫婦共々わが子ども達にしばし陳謝。


藤田先生



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