先生のおはなし

ひとりごと「聞いてほしいなあ」

04. 医療崩壊が西脇にも起こっている!?


 西脇の医療事情については多少皆さんより知っていることが多いので、ちょっと深刻なお話をしたいと思います。

 1)全国的なお話

 小児科医が減っているということを皆さんはご存知ですか?私はとても楽しくやっているのですが、医学生には小児科はあまり人気がありません。勤務がきついなどの理由で敬遠されているのです。医師数が少ない分、よけい過酷労働を強いられ、小児科医だけでは時間外の救急にまで手が回らなくなりました。では、小児科医以外の医師が小児救急を診られるでしょうか?実際問題として、わが子が病気になったとき、皆さんは小児科医以外のどの科の先生に診てもらいたいと思いますか?内科医ですか?皮膚科医?眼科医?・・・ 絶対というわけではありませんが、子どもをあまり診ない先生には診てほしくないでしょうし、医師も診たくありません。でも小児科医が減っていることも事実です。どうすればよいのか、答えは簡単です。すべての科を診ることができるように医師を訓練すればよいのです。というわけで、2年前の4月より卒後新臨床研修制度ができました。

 2)卒後新臨床研修制度について

 大まかに言ってしまえば、卒業後2年間の間に内科や外科、小児科といった主だった科を2ヶ月から3ヶ月間ごとにすべて研修して回ってください、そうでないと一人前の医師として認めませんよ、という制度を厚生労働省は作りました。それまで多くの医学生は卒業すると、なりたい科の大学病院の医局に入りました。私も卒業後すぐに大学病院小児科の医局に入り、小児科のみを研修したのです。

 3)新臨床研修制度が大学派遣システムを破壊した

 今回の制度では大学病院だけで十分な研修はできませんので、主だった科がそろっている一般病院でも研修できるようになりました。これで、卒業2年たったらすべての科が診られる医師が養成できると厚労省は考えたのですね。その代わり、卒業生は大学病院に入局する必要がなくなったため、大学病院の研修医が大幅に減少しました。そしてそれまで大学病院は関連病院への人材派遣会社の機能があったのですが、医師がいないものですから、関連病院に医師を送れなくなったのです。また昔の医師は博士号がほしいばかりに大学病院に残っていることもありましたが、今の若い先生方にとって博士号は魅力がなく、大学に残る必要がなくなったというのも大学に人がいなくなった理由のひとつです。

 4)地域では何が起こっているのか?

 忙しい病院で多くの症例をみるキャリアを積むことができるということは、医師にとってとても魅力があります。でも忙しすぎる病院や(36時間以上睡眠なしで勤務を強いられる病院)、自分の勤務を評価してもらえない病院(給料が安い病院)で勤務することはプライドが高い医師にとって苦痛以外の何ものでもありません。(あえて言います) こんな病院しかなければ我慢もしますが、他にもっと楽に勤務できる病院があるのです。人間的な生活が送れない病院から逃げ出したくなるのも理解できますよね。大学とは縁が切れているため、病院には何のしがらみもありませんし、どうしても医師に来てほしいためいい条件を出してくれる病院も多いのです。一方医師に去られた病院からみると、医師がいなくなったからといって、今までのように大学に医師派遣を依頼しても、大学病院には期待できません。大学にも人がいないのです。また医師に去られるような病院が医師を一般募集しても、そんな病院での勤務を希望する医師はいないのです。また都会の病院には医師は多く集まりますが、地方(田舎)の病院の人気は低いのです。というわけで、地方の病院の勤務医が減少し、そのため余計に残された医師に負担が多くなり、地域医療が崩壊してきたのです。特にもともとなり手の少なかった小児科医療はつぶれかけようとしています。

 5)県立柏原病院小児科の場合

 近くの病院の例を上げます。県立柏原病院小児科にはかって3人の医師がおり、外来、病棟、新生児診療、そして救急ととても忙しい勤務をこなしていました。しかし大学病院の小児科医の減少のために、いつの間にか二人になってしまったのです。それでもこの二人の医師はきつい勤務を何とか乗り切っていたのですが、そのうちの一人が病院長に就任されたのです。病院長の仕事をこなしながら通常の小児科医としての勤務は無理です。つまりもうひとりの小児科医に大きな負担がかかることになったのです。この非常事態を県に訴えたにもかかわらず状況は好転せず、残された一人の小児科医は、体力気力の限界を理由に柏原病院をやめようと思いつめたのです。すでに近隣の病院の小児科は医師がいないことで閉鎖されていましたので、まさにこの地区の小児医療は危機に見舞われたのです。

 6)そのとき何かが変わった

 このままではこの地区の小児医療が崩壊することを子育て中のお母さんたちに彼は訴えたのです。お母さんたちは立ち上がりました。そしてお母さんたちは、こんなメッセージを丹波市民に送ったのです。『柏原病院の小児科医が一人もいなくなってしまうかもしれません。今妊娠しても丹波市内には子どもを産める病院もなくなります。小児科医がいなくなれば産科も無くなるからです。助かるはずの命が助からないことがあってはいけません。子どもが少し熱をだした、軽いケガをしたといって安易に病院を受診し小児科医を疲労させないで。』そしてこんな市民の熱い思いを受けた他の地域の小児科医の手助けもあり、いま病院はなんとか踏みとどまっています。

 7)今西脇では

 西脇もかつて五人いた小児科医もいまは一人です。近隣の小児科医も減っていることから、行政の主導で北播磨地区の小児科医は小野市民病院に集められ、西脇病院の小児科は消えるかもしれない状態です。実は医療崩壊は小児科だけの問題ではないのです。西脇病院の危機を救えるのは西脇市民しかいないのです。今西脇のお母さんたちも立ち上がろうとしています。私たちの病院をどのようにしたいのか、そのためにはどの様な関わりをすればよいのかを一緒に考えてみませんか?


藤田先生



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