診察室から地域に飛び出す(私のアドボカシー)
開業する目的
「地域医療に貢献する為に開業しました」これは新規開業の挨拶はがきでよく目にする一文です。でも高邁な精神で開業したものの、長年の開業生活で、その活動は診察室に留まってしまっている医師は多いのではないでしょうか。私の開業の目的は母親の本音にふれ、診察技術を磨き、研修医や医学生への教育を行うことで、それはやはり診察室内に留まっていました。それが開業後16年の今、私の活動範囲は診察室を飛び出し地域に広がっています。どうすればそれが可能になるのか、何がこの活動を支えてくれているのか、地域医療の崩壊という危機に直面した時、私が取った行動を例にお話します。
病院に小児科がなくなる!?
医療崩壊の嵐は全国を席巻していますが、特に地方においては甚だしいものがあります。その原因は地域医療の中心である公立病院の医師不足です。この地区の基幹病院の勤務医、特に小児科医も4名から1名に減り、このままでは小児医療の崩壊が現実となることを実感した私は、ただ手をこまねいて見ていることはできませんでした。
目標を定める
隣の丹波市では、病院小児科が小児科医の激減からその存亡の危機に陥ったとき、「県立柏原病院小児科を守る会」がその危機を救ったことは全国的にも知られています。小児救急医療のコンビニ化をお母さん自身の気づきで防ぎ、お母さんたちが病院小児科を守る活動を行っていました。この地でもお母さんたちに「小児医療を守ろう」と呼びかけたいと思いましたが、どうやればいいのか方策がみえず、ただ悶々とする日々を送っていました。
お母さんたちによびかける
ふと思いついたのは保健センターの保健師でした。彼女らは地元の資源をよく知っています。一般的に小児科医は乳幼児健診などで保健師とは懇意になっています。そこで彼女たちに相談を持ちかけると、子育て中のお母さんたちが月に一度集まる子育て広場を教えてくれました。1週後、診療の合間を縫って子育て広場に行ったのですが、出会ったのはなんと私の診察室で良く出会うお母さんたちばかり。青い鳥は手元にいたのです!!! その時伝えたのは、全国的に起こっている地域医療崩壊のこと、このままでは病院小児科がなくなってしまうこと、私たち医師も努力するが、お母さんたちも救急のコンビニ受診抑制など患者さんの立場から声を上げてほしいということでした。その後2回お話をさせていただいたのですが、事情を理解した後のお母さんたちの行動は早かった。早速、柏原の守る会とも接触し、「病院小児科を守る会西脇版(守る会と略)」を発足させ、署名活動を通して、多くのお母さんたちや一般市民にも、この危機を乗り越えようと訴えはじめました。また講演により、歯科医師会、薬剤師会、ロータリークラブ、ライオンズクラブ、県議会議員や市会議員たちにも、小児医療の崩壊の事実を私と一緒に訴えました。ただこの守る会の活動が今後も継続したものになるにはお母さんたちのサポーターが必要です。彼女たちは何の肩書きを持たない一介の母親であり、その立場は脆弱です。医師会理事でもある私は会長とも相談し、地元での医師会の大きな信頼を後ろ盾にして、医師会には守る会の守る会になってもらいました。その後守る会の活動の結果、病院小児科医は2名に増えています。後日談ですが、「よくがんばってきたね。」と守る会のお母さんたちにその活動をねぎらった時、「先生の話が本当かどうかわからなかったけど、その熱心さにほだされて行動を開始した。」と語っていました。
その後、私は医師会の同じ思いをもつ仲間と一緒に、多くの市民に現実に気づいてもらうため「医療崩壊」というテーマで講演会を市内10箇所で開いてきました。また、病院医師たちとも連携を図り、地域医療検討会を毎月1回開催し、一般市民とともに地域全体で地域医療ネットワークの再構築を考えています。病院、医師会、守る会の3本柱でこれらの社会活動を支えているのです。
ひとつの思いがやがて大輪の華を咲かせることも可能な地域活動は医師冥利に尽きます。地域活動をしてみてはじめて地域医療の担い手であることを実感しています。
地域活動をするための私からのアドバイス
その1)ネットワークを作っておく
特に医療関係以外の人的ネットワークをつくっておくこと。
または多くのネットワークを持っている人と知り合いになること。それは目の前の患者さんかもしれない。
その2)まず一歩踏み出す
勇気を持ってとりあえず前に踏み出すこと。正しいことならば誰かが手を貸してくれる。
何故ならあなたが医師だからです。
その3)地元医師会活動に参加する
医師会のネームバリューは大きい。
医師会というのは、医師だけなく行政も住民も利用できる大きな地元の資源です。
そしてその力を借りるには、自らが医師会に貢献しておかねばなりません。
|