先生のおはなし

ひとりごと「聞いてほしいなあ」

06. 転ばぬ先の知恵


 医療問題について、社会と人間行動学の側面から見て、以前から気になっていることを書いてみる。


 社会は不確実である。ブラック・スワンという言葉を聴いたことがあるだろうか。「白鳥は白い」と信じられていたところに黒い白鳥が見つかり大きな衝撃が走った、という事件にちなんでつけられたもので、大きな衝撃をもたらす予期しない稀な事件のことである。一羽でも黒い白鳥が見つかれば、「白鳥は白い」というルールは消滅し混沌を招く。安定していると考えていた社会が9.11事件やサブプライムローンで壊れ、十分完備していると考えられていた地域医療が臨床研修で壊れるなどがまさにブラック・スワンである。歴史はブラック・スワンの繰り返しで成り立ち、いくら過去を勉強しても将来の予測の役には立たない。そしてブラック・スワンを未然に避けることは不可能である。なぜなら稀な事象が突然起こり、しかも予測ができないからである。


 一方、人間の行動についてみてみると、行動経済学は「人間は不合理な動物である」と証明している。金は人間にとって大切なものではあるが、報酬だけでは人は動かないという例がある。「ドアを開ける」という行為を取り上げる。社会がうまく機能するためにボランティアでドアを開けていた人に報酬を与えようとしたら、もう二度とドアを開けようとは思わない人が増えてきたのである。人間は社会規範と市場規範で生きている。そうしてあげた方がみんなのためになると考えて行うことが社会規範で、金銭は絡まず開けられたほうも開けたほうも気持ち良くなる。一方、お金をもらってドアを開けるというのが市場規範で、賃金・価格など対等な利益、迅速な支払いといった明確な規則を持つ。この二つが別々に存在していれば問題はないが、これらが衝突する時に問題が生じたということである。不合理だが報酬を伴わない仕事のほうをより好むのも人間なのである。 


 そして二つの規範の衝突例をもうひとつ紹介する。ある託児所で子どもの迎えに遅れてくる親に罰金を科すことになった。以前は先生と親は社会的な取り決めをし、社会規範を当てはめていたため、遅刻した親は時間に遅れると後ろめたい気持ちになっていた。罰金を科して社会規範を市場規範に切り替えたとたん、遅刻するもしないも決めるのは自分の権利とばかりに以前にも増して遅れるようになった。そこでまた罰金制度を廃止したが元には戻らなかった。社会規範が市場規範と衝突すると社会規範は消滅し、簡単には復活できなくなったのである。


 不確実な社会と不合理な人間行動から考えて、以前から医療問題解決策について気になっていることがあった。いわゆるコンビニ受診対策として罰金刑(時間外選定療養費と称する)を科す試みのことである。罰金を科すことで、かつて社会的規範に則って行われていた時間外診療は市場規範へと変化し、今以上に時間外に悩まされ、医療崩壊がすすむことを心配するのである。一般的に社会規範はすでに崩壊してきているのも事実であるが、市場規範では行動変容をもたらせられない。それよりもっと心配することがある。「かかりつけ医を持ちましょう」と良い社会規範を患者との間に作ろうとしながら、時間外だけは市場規範でやりましょうと二つの顔を使い分けることが、医師・患者関係まで取り返しのつかない事態を招来させかねず、これこそが本当の医療崩壊だと思っているのである。


 医療崩壊の正しい処方箋はわからない。今は罰金刑が機能しているように見えても、将来大きな代償を払わなければならないかもしれない。それはひょっとするとブラック・スワンかもしれない。予想できる災いの元凶を予めできるだけ絶っておくこと、これしかブラック・スワンに対抗する術はない。

藤田先生



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