先生のおはなし

連載コラム「ドラえもんのポケット」

その57 大きな問題が残っていたの巻


 こんにちは、僕ドラえもん。今年ももう12月。先生にとって、いいこともたくさんあったけど、大きな宿題を残した一年になってしまったんだって。今日はそのお話を先生にしてもらうね。



藤田先生から一言》

 「皆さんお元気ですか、今年もドラえもんのポケットをかわいがって下さってありがとうございました。来年も私とドラえもんはいっそうがんばります。今日は深刻で急を要する問題についてお話します。

 この11月いよいよ西脇病院は新病棟が完成しました。その見学会に行ってきたのですが、小児科病棟は産科病棟と一緒に配置されていて、とてもすばらしい施設となっていました。でもこの施設が使えないかもしれないという話なのです。

 西脇のことを語る前に県立柏原病院のお話をします。ここにはかつて四人の小児科医が、一般小児科診療(外来、病棟)、新生児診療、そして救急外来、当直ととても忙しい勤務をこなしていました。

 しかし大学病院の小児科医の減少のために、いつの間にか二人になってしまったのです。つまり仕事が倍増したのです。それでもこの二人の医師は、きつい勤務を何とか乗り切っていたのですが、そのうちの一人が病院長に就任されたのです。病院長の仕事をこなしながら、通常の小児科医としての勤務は無理です。つまり、もう一人の小児科医に大きな負担がかかることになったのです。

 この非常事態を県に訴えたにもかかわらず状況は好転せず、彼は体力気力の限界を理由に柏原病院を辞めようと決心したのです。すでに近隣の病院の小児科は医師がいないことで閉鎖されていましたので、まさにこの地区の小児医療は危機に見舞われたのです。

 そのとき何が起こったと思われますか? 子育て中のお母さんが立ち上がり、こんなメッセージを丹波市民に送ったのです。

 『柏原病院の小児科医が一人もいなくなってしまうかもしれません。今妊娠しても、丹波市内には子どもを産める病院もなくなります。小児科医がいなくなれば産科もなくなるからです。助かるはずの命が助からないことがあってはいけません。子どもが少し熱を出した、軽いケガをしたといって安易に病院を受診し、小児科医を疲労させないで。』

 そして、こんな市民の熱い思いを受けた他の地域の小児科医の手助けもあり、今、病院はなんとか踏みとどまっています。

 西脇も、かつて五人いた小児科医も今は一人です。近隣の小児科医も減っていることから、行政の主導で北播磨地区の小児医療は小野市民病院に集められ、西脇病院の小児科は今、消えようとしています。実は小児科だけの問題ではないのです。時間はありません。西脇病院の危機を救えるのは、西脇市民しかいないのです。私たちの病院をどのようにしたいのか、そのためにはどの様な関わりをすればよいのかを、一緒に考えてみませんか?」


ドラえもん



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